産後うつになった私が感じる子育ての大変さ

睡眠薬を処方してくれるお医者さん 病気

こどもが一人増えるということは…

オムツとミルクに、そしていずれは教育費に家計を圧迫される日々が始まるということ。

眠れない日々がまたしばらく続くということ。

洗濯機を回す回数が増えるということ。

食事の後の洗い物の枚数が増えるということ。

園や学校での役員が多く回ってくるということ。

トイトレをもう一度やるということ。

上の子とはまた違ったイヤイヤ期と戦うということ。

洗濯物が畳んでも畳んでもなくならなくなるということ。

子供を通じて関わる友人が増えるということ。

お世話になる先生が増えるということ。

幸せな気持ちをくれる笑顔が一つ増えるということ。






3人目の子供を産んで実感したこと

一人目の子が生まれた後は産後うつのような症状もあり全てのことが負担で仕方ありませんでした。

洗濯物が増えたことも、オムツを買わないといけないことも、夜中の授乳もオムツ替えも、夜泣きに悩まされる日々も。

こどもを抱くことさえも、重たくて苦しかった。

 

自分だけが大変で、自分だけが家の中一人ぼっちでとても孤独でした。(全然自分だけではないのですが、当時の私はそう感じていました)

 

息子を保育園に預けて働き始めると、自分でも仕事をして対価をいただけるということ、自分一人で電車に乗れることや、職場の人と会話ができるということがとても嬉しく自由を得た気持ちになりました。

時間的には忙しく、家事、育児、仕事に追われる日々でしたが、言葉もしゃべれず訳がわからない赤ん坊と二人で家にいるよりは、ずっと心が元気でいられました。

 

二人目を産んだ後は事情があり仕事を辞めていたので、家庭で二人の子育ては大変だとか考えている余裕もなくただただ一日があっという間に過ぎていく…という感じ。

苦手だった家庭での育児を、ちゃんとやってみせる!と決意はしたものの、「もう、どうしたらいいの‼︎⁉︎」と、パニックになる事態も多々あり、まだ小さかった長男(当時2歳半)に頼ったり、理不尽なことで怒りをぶつけたり。

時間が戻るならやり直したいと思うこともたくさんありました。

 

3人目の子供が生まれて、まず洗濯物の量に驚く。毎日回して、毎日干して。毎日畳んで、たたむと同時に洗濯物取り込んで…。

ご飯はそろって「いただきます」ができまなくなりました。

「とにかく子供たち先に食べてて〜。赤ちゃん用のご飯がまだだから」

 

お風呂もとにかく大変。一人で入れるときは自分+こども3人で、4人分の頭と体を洗う。

そのうち一人は赤ん坊で手も目も離せない。

入るだけで逆に疲れるので、パパがその気になってくれればパパに何人かお願いしてたまに「今日はもうお風呂はいいか〜」という日もつくる。






昔から育児はこんなに大変だったのだろうか

昔も今も、子供を育てることが大変なのには変わりがない。でも昔の人や他のお母さんたちがやっている育児が、こんなにも大変に感じるのはやはりメンタルの状態が大きく関わっているように思う。

今の時代、産後うつが増えているのはなぜだろう。

核家族で親の助けが得られない人が多いから?

こどもを嫌いな大人が多く子育てしにくくなった?

ご近所付き合いが少なくなったから?

 

私が強く感じるのは、やはり周囲の人との距離。

個人情報やプライバシーの保護などを言われるようになって久しい現代、確かに個人のプライバシーは守られ、すぐ隣に住んでいる人がどんな人で、どんな仕事をしていて、出身はどこで…。何も知らないし、私のことも隣の人は何も知らない。

 

一人で生活ができている人はそれでいいかもしれない。

でも助けが欲しい人は?

一人ではどうしようもできない状態にある人は?

誰かに話を聞いてもらいたい人は?

どこに助けを求めたらいいのか分からず、助けを求めている人がそこにいることを誰も知らない。

 

そして一人でどんどんどんどん、追い詰められてしまう。






産後うつかもしれないと思ったとき、病院に行くべき?

私がラッキーだったのは、長男を出産した場所が助産院だったということ。

病院と助産院の違いは、先生が医者対患者ではなく、人対人として産婦さんと向き合ってくれること。

世間話をしたり、話をしたり聞いてくれたり、退院後にも相談にのってくれたりする。

 

泣き叫ぶ息子を前に抱き寄せることもできずただ見つめていた時、自分は何かがおかしいと自覚した。母に勧められて助産院の先生に電話で病院へ行くべきかどうか相談した。

 

先生は「病院で話を聞いてくれればいいんだけどね〜」といった。

 

もちろんカウンセリングを行ってくれる病院もある。けれどあまり話は聞いてくれず、薬を出すだけ診察が終わってしまう病院もあるそう。

また診察してくれる先生との相性もあるので、必ずしも病院へ行ったからといって症状が改善するとは限らないそう。

自分と合う先生と巡り会えるかは、運のようなもの。

 

薬は飲みたくないし、当時の私はオムツ替えさえ苦痛で仕方ないのに、新生児を連れて病院へ行くなんて負担以外の何者でもなかったので、先生のその言葉を聞いて病院へ行くのはやめた。

 

そして私がもう一つラッキーだったのは、母がとても理解のある人だったこと。

母は5人の子供を育てた。私が鬱かもしれないといった時、仕事もしていて忙しかったのに家に来てひたすら私の話を聞いてくれた。

私のことを否定せずにただただ、共感してくれた。

 

そんな風に話を聞いてくれる誰かが身近にいれば、病院へ行くよりももっと効果的に病気を癒せるのかもしれない。

 

話せる人がいなければ、聞いてくれる人を求めて病院を探すのも一つの手だと思う。

思いや言葉は本当になる

鬱がひどかった当時は、正直自分のこどもが可愛いなんて思えなかった。散々書いているように全てが大変だと思っていた。

でもいろいろな人との出会いや助けを通して、私でも子供のことを可愛いと思えるようになったし、子育てが楽しいとも思えるようになってきている。(悩みは絶えないけれど…)

いま一番守りたい存在が子供達で、子供の幸せを心から願ってる。

 

自分の心をコントロールできなくて苦しかった時に心がけてみたこと。それは言葉を変えてみること。

 

一時期口ぐせだった「面倒くさい」という言葉。今も時々使うけど、ある日テレビを見ていたら所ジョージさんが

「面倒くさいことは幸せなこと」

と言った。

 

私の中では今までになかった発想だった。

頭の中でその言葉がぐるぐると回って、「なんで面倒くさいことが幸せなんだろう?」と、いろいろ考えた。

 

ご飯を作るのは面倒くさい。

きっと家族がいなかったら、作っていないだろう。買ってきたものとか、インスタントとか、適当に食べて。

でも、ご飯が食べれることは幸せなことだし、ご飯を作る相手がいるのも、とても幸せなこと。

 

お風呂に入るのも、仕事をすることも、掃除をすることも。

 

すべて面倒くさいけど、したくてもできない人もいる。

すごく幸せなことなんだ。

 

そう思ったら、「面倒くさい」事は「幸せなこと」に少しずつ変わっていった。

 

例えそうは思えなくても、そう言葉にしてみる。

 

「幸せだなぁ〜」とか。「ありがとう」とか。

言葉って、すごい力を持っているんですよ、心は言葉にすごく影響を受けます。

 

だから言葉遣いは大事だと昔から大人は言うんですよね。






相手の気持ちを想像してみる

「自分が大変だ〜」と思っている時、たいてい自分のことしか見えていなかったりします。自分のことにばかり集中して、自分が可哀想で。

でもその考え方をしている限り、ずっと自分は可哀想なままなんです。

 

育児中は特に。赤ちゃんはしゃべらないし、初めての育児では泣いている理由すら分からないし。ついつい振り回されている自分が可哀想になってしまうのですが、、

イライラしそうになった時に私は相手(こども)の気持ちを想像してみるようにしました。

こじつけでもいいから、相手がしている行動の正当な理由を探すんです。

 

「あぁ、今はきっと眠くて機嫌が悪いんだな〜」とか。

「ギャン泣きが止まらないよ〜。でも耳の周りを触ってる、もしかして耳が痛い⁉︎」とか、

「おしっこ漏らした〜‼︎さっきもじもじしてたのはトイレに行きたかったからなのか〜!他の人がいるから自分で言うのが恥ずかしいのかしら。声かけてあげればよかった」とか。

 

相手の気持ちを想像していくうちに、想像力が鍛えられていって相手(特に自分のこども)の気持ちを読み取るのが上手になってきます。

そうするとイライラよりも、未熟でまだいろんな事が上手くできない子供へのいたわりの気持ちや、申し訳ない気持ち、守ってあげなきゃという愛しい気持ちが生まれてきます。

 

「なんでこんなことしたの⁉︎ムキー‼︎‼︎‼︎‼︎」

ってなるよりずっと気持ちが楽です。

 

後よく私は、自分が小さかった時のことを思い出します。

「私もあんな失敗したな」とか、

「あの時あんな気持ちだったよな〜」とか。

 

さすがに赤ちゃんの時のことは覚えていないけれど、自分と同じ失敗を子供たちはしているんですよね、みんなそうなんじゃないでしょうか。






まとめ

育児は本当に大変!うつだろうと、うつじゃなかろうと。

本当に面倒くさいことなんですが、これ以上はない幸せでもあります。

 

毎日やることは変わらないんだけれども、自分の言葉や、考え方を少し変えてみるだけで、同じ風景がちょっと違って見えるかもしれません。

灰色だった毎日に、色がついてくるかもしれません。

 

まずは言葉から、自分から意識してみてはいかがでしょうか。

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