公文を嫌がる年長の子供にどう対処する?続けるべきか辞めるべきかその見極め方法

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 公文の勉強をしている子供の手

子どもを保育園に預けながらも習い事をさせるには、時間的にも経済的にも大きな犠牲が伴います。

それでも子供が小学校に上がって苦労しないように、学校の勉強についていけるようにと親は大きな決意をして公文に入会するのです。

 

はじめのうちは新鮮で通うのを楽しみにしていた教室も、慣れていくうちに、勉強がだんだん難しくなっていくうちに子供は

もう公文に行きたくない」

と言い出します。

我が家の長男も入会から半年ぐらいたった、年長さんの頃に公文の宿題をやりたくないと毎日だだをこねるようになりました。

そんな時には親として子供にどう対処すればよいのでしょうか?

私自身の経験と思うことを書きます。





 

子共は親の所有物ではなく一人の人間である

人権のある一人の人間としての子供が寝ている姿

ごく当たり前のことですが、大前提として理解しておかなければいけないこと。

それは子供を一人の人間として尊重するということです。

 

この「尊重」がなかなか難しいんです。

 

なんでも子供の言う通りにするという意味ではなく、かといってなんでも親の言う通りにするという意味でもなく。

 

まだ未熟な子供に助言や進むべき道を示してあげるのは親の大切な務めですが、子供がどう感じ、どう理解して、どうしたいと思っているのかに耳を傾けることもとても大切なことです。






 

私の友人は幼いころに公文を「させられていた」事が嫌で嫌で仕方なく、泣きながら公文の宿題をしていた苦い記憶を話していました。

友人が言うにはお母さんは自分自身が小さいころに習い事をさせてもらえなかったことが不満として残っていて、自分の子供である私の友人に、いろんな習い事を「させていた」そうです。

 

子どもである友人の立場からしか話を聞いたことがないので実際はどういった経緯で習い事をはじめ、続けていたのかは知りません。

お母さんとしての思いもあると思いますが子供側からすれば「嫌なのにやらされていた」としかとらえていなかったようです。

 

実際親の立場で育児中の私としては、私が認識していることと子ども自身の認識とにずれがあるなと感じることは多々あります。

私の勧めをこどもが理解し、了承していると思っていても、子ども自身の中では私の言葉や勧めの意味がよく分からず、

「親に言われたから仕方なくやっている」

本当はやりたくないのに…」

と思っていることを、他の人から聞いてはじめて知る事もあります。

 

どのような家庭においても子供の見えている世界よりも親の視野の方がずっと広く、こどもが「やりたい」と思うことと親が思う「した方がいい」事が異なることが多いです。

 

けれど、子どもには親が「した方がいいと言う理由が分かりません。

 

では、親として助言を与えつつ子供を一人の人間として尊重するためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

子どもがどう感じ、何を思い、どうしたいと思っているのか。子どもの言葉に「耳を傾ける」事がひとつのポイントになると私は思います。

 

そして、公文をやっているのは子供自身ですから、やめるか続けるかの最終的な決定権は子供にあるということを親は認識する必要があると思います。






 

 

年長の子供が公文を嫌がるのはなぜなのか?

公文の宿題をやりたくなくて泣く子供

こどもが公文を嫌がる理由は子ども一人一人、それぞれにあります。

 

「算数が苦手で難しいからやりたくない」

「教室に意地悪な子がいる」

「毎日の宿題の枚数が多くて時間がかかる」

「勉強の習慣がまだついていないので毎日勉強することが負担」

 

もちろん年長さんですから、そんなに上手に理由を説明できないと思います。

 

うちの子供が辞めたいと言ったときにも理由を聞きましたが、ただ「嫌だから」とか、「枚数が多いから」とか。

 

こちらが

「宿題の枚数が多くて時間がかかるから嫌なの?」と聞くと

「そう」

と言いますがかといって宿題をしているところをみるとそんなに時間もかからずにすらすらと問題をといていたり…。

 

自分自身でも理由が分からないのかもしれません。

 

自分の感じていることを言葉にするのが難しい年長さんくらいの子供の話に耳を傾け理解するのは簡単ではありません。

なので言葉だけではなく勉強している様子や、その他の言動からも本心を探ります。

 

親が感じ取ったことが子供の本心かは結局のところは子供にしか分からないのですが、耳を傾けることで親が子供のことを知りたいと思っていることを子供に伝えることができます。

子供が「お母さんは自分に関心を持ってくれているんだ」と感じることが大切なことではないかなと思います。





 

悩んだあげくとった我が家の行動

公文を嫌がる子供

悩みましたね。

特にうちの子供は飽きっぽい性格で遊びにしても何にしても途中で投げ出すことが多い子だったので、今ここで辞めてしまうのが子供にとっていい選択なのかというのは、本気で考えました。

 

以前にスイミングの教室に通った時も第一印象が悪かったのか一回きりで大泣きして「絶対に行きたくない」になってしまった経験もあり、半年続いた公文を、まだちゃんと勉強する習慣がつかないまま辞めてしまうのは本当にいいことなのか。

 

悩んだ末に相談したのは、保育園の担任の先生でした。

 

子供たち一人一人のことをよく考えてくれる先生で、園内でのことはもちろん、家庭での悩みや困っていることによく耳を傾けてくれて自分の意見を言ってくれる先生でした。

 

園内でも「あきらめずにやる」「努力してあきらめなければきっとできるようになる」ということを子供達に教えてくれていて

鉄棒や竹馬や和太鼓など、いろんなことに挑戦して子供が

「できない」

「やりたくない」

「もう嫌だ」と投げ出してしまっても、

 

「できるよ、一緒にやろう」

「頑張れ頑張れ」

と子供達と一緒に励ましてくれて子供自身が

 

「頑張ればできるようになるんだ」

 

という成功体験をさせてくれていました。

 

 

そして相談してみたところ、やはり先生の意見は

「私は辞めないほうがいいと思います」

でした。

 

小さい頃についた習慣は大人になってもずっと引きずりやすいこと、

成功した体験を積み重ねていくうちに自信がつくのと同じように、

諦めたり挫折した経験を繰り返していくうちに自信がなくなり、すぐに諦めたり「どうせ自分には無理だったんだ」という理由を自分の中でつくってしまうようになること、

また先生の兄弟でそうやって幼い時に途中で投げ出してしまう癖がついてしまい、

そのせいで大人になってからも損をしていたり社会でうまくやっていけなかったりしている人がいる事も話してくれました。

 

先生「本当にもったいないと思うんですよね」

 

確かに。。。

ただ、親がその気になっても本人のやる気がなければどうしようもない訳で。





 

自宅に帰り子供とよく話し、

 

私「じゃあ、算数が今は1日10枚だから5枚にしてもらって続けてみる?保育園の先生も続ける方がいいと思うって言ってたよ」

 

息子「…もう辞めたい」

 

私「…そっか本当にいいんだね。じゃあ公文の先生にもう辞めるってお話しするね」

 

電話をかけると、教室で会って話しませんかとのこと。

後日お休みの日に子供と公文の教室へ行ってみると…

 

先生「本当にいつも頑張っていて、問題を解くのも早くて素晴らしいんですよ〜。いつもお利口さんで、本当にいい子だしできる子なんですよ。

でもどうして辞めたくなっちゃったのかしら?

プリントの枚数が多いのかな?」

 

黙って頷く息子

 

先生「そしたら枚数減らそうか?今10枚やってるもんね、算数5枚にしてみる?そしたらできそう?」

 

息子「うん、できそう」

 

えぇ⁉︎できるの?家ではあんなに辞めたいって言ってたのに。。

 

先生「本当にね、〇〇君はすごく勉強出来るんですよ、問題もスラスラ解いちゃうし。こんなにできる子なかなかいないんですよ」

 

こちらがムズムズするほどに褒めちぎる先生。さすがプロです。

息子もすっかり気分を良くしてやる気になって帰っていきましたとさ。





継続は力なり。けれども子どもはそれを理解していない

集中して公文の宿題をする女の子

あれから1年以上経つ今も、公文は続けています。

 

今振り返ると、息子が辞めたがっていた理由は

「勉強の習慣がまだついていないので毎日勉強することが負担」

だったことが一番大きかったのではないかと思います。

 

習慣は、続けなければつきません。

 

私が公文に入会した一番の理由もこれで、

「勉強する習慣をつける」

ことが目的でした。

 

一年前は負担だった毎日勉強することも、今では勉強することが当たり前になってきています。

わからない問題につまづいたりすることは多々ありますが、小学校の勉強にも抵抗なくついていけているようなので、やはり続けていてよかったなと思います。

 

大人になると継続することの価値を身にしみて感じます。

私自身も割と興味が多く色々なことに手を出すタイプなのですが、継続が苦手なためある程度できるようになるとすぐに辞めてしまうことが多かったです。

だけど辞めてしまえば、それ以上成長するチャンスも奪われてしまいます。

継続していれば、たとえ少しずつの成長でも数年経つと大きな違いが生まれます。

 

それは長い年月が経ってみないと分からない感覚かもしれません。





 

以前働いていた職場に、バレーボールでプロになりその推薦で職場に入社した人がいました。

 

子供の頃にバレーがやりたくなくて泣いて母親に訴えたそうですが、母親は頑としてそれを受け入れず、家から締め出して「頭を冷やしなさい」と言ったそうです。

「お母さんが本当に怖かった」

とその人は話していましたが

「今はお母さんに本当に感謝している。当時は分からなかったけど」

とも言っていました。

 

「やっててよかった」という感覚は月日が経ってやっと分かるものなのですね。





まとめ

公文に限らず、習い事を通して学ぶことはその技術だけではないです。

諦めない力、

努力する力、

継続する力、

繰り返し練習、勉強する力。

どれも生きていく上でとても大切な力です。

その力をつけるためには時に公文の先生のようにオーバーに褒めちぎることも必要ですし、バレーボールをしていた知人のお母さんのように鬼になることも必要なのかもしれません。

 

迷ってしまって答えを出せない時には信頼できる人に相談するのもありですし、先生を通して子供に助言してもらうのもいいと思います。

自分が何かしら行動する時に、意外と簡単な答えが落ちていたりすることもあります。

 

教育に関しては私もまだまだスタートライン。試行錯誤しながらこれからも奮闘して生きたいと思います。

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